やっぱり池袋は色々な事があって、色々な人がいるんだなぁ、って。

今、改めて、ものすごくそう思っている。






「ふりー……はぐ?」

「そう!少年!!ぜひ俺とハグをしようっ!!」

「えっと……」

(……、どうしよう、)

目の前には、見知らぬ男の人。

背は静雄さんよりも少し低いけれど、勿論僕よりは高い。

静雄さんほど大きくもなく綺麗でもない片手には僕の腕、もう一方にはスケッチブック。

白い紙に大きく赤い文字で、FREE HUG!と書いてある。

「さぁ!フリーハグだ!!」

「いや、僕、いい、です。離してください」

「さぁさぁ!!」

(話、聞いてくれない……)

どうしてこんな困った状況になっているのか、というと。

昼休みに珍しく静雄さんからメールが届いた。

早く仕事が終わりそうなので放課後会えないか、用件のみの素っ気無いメールだけど何よりも嬉しい。

当然僕はすぐに会えますってメールを返した。

待ち合わせ場所は確認しなくても分かる、ト音記号の像の前。

放課後のチャイムが鳴ると同時に教室を飛び出したのは、早く早く静雄さんに会いたかったから。

でも、まだ静雄さんは来ていなくて。

待たせなくて済んだことにほっと呼吸を整えながら息を吐くと、僕の体を影が覆った。

影さえも僕をすっぽりと包み込んでしまう、大きな人。

弾む心を抑えきれずに、空を見上げる。

『静雄さん!!……え、』

『はーい!少年!ハグしようぜ、ハグ!!』

立っていたのは静雄さんではなくて、会ったことのない、男の人。

それで、今に至る。

「ハグをして世界の平和を祈るんだ!!」

何度もそう言われるけれど、僕には抱きしめ合うことが何で平和を祈ることに繋がるのか理解出来ない。

(東京、だから……?)

それに、どうして僕なんだろう。

抱きしめ合いたいなら、女の子は幾らでもいるのに。

僕には見知らぬ男の人と抱き合う趣味はないし、知っている人でも男の人に抱きしめられるなんて嫌だ。

(……あの人以外は、嫌だ)

平和のためとはいえ、見知らぬ人と抱き合えるほど僕はまだ都会人にはなっていない。

「は、離してください、僕はいいですから」

「そんなこと言わずに!」

はっきりと言葉で告げても、男の人の勢いは止まらない。

嫌がっている人を無理やり捕まえて、抱きしめ合うなんて、その時点で平和的じゃなくなってるのに。

言っていることとやっていることが正反対だ。

「いいですって!」」

「ほーら、ほらー!はぐはぐ!!!」

憤りのままに腕を振っても、掴まれている腕の力が強くて、離してもらえない。

暴力を振るわれているわけではないけれど、だんだん怖くなってきた。

本当に抱き締め合えば離してもらえるのかな。

だったら、嫌なのを我慢して抱き締めあった方がいいんじゃないかって思い始める。

(本当に、どうしよう……)

こういう時、静雄さんみたいに強かったらなぁと思う。

(しずおさん)

ゆっくりと大切な名前を呼んだのは、助けてもらいたかったわけではなく、自然のことだった。

掴まれていた腕が急に楽になって、自由を取り戻す。

一瞬遅れて大きな音が鼓膜を揺らした。

目の前を何か通ったような気もする。

それからまた一瞬遅れて、腕を掴んでいた人が地面に倒れていて、僕は暖かい腕の中にいるんだと分かる。

「帝人に何してやがる」

「しずお、さん……!」

大きな手のひらが僕の肩を抱き締めて、そっと体を引き寄せて視線を合わせてくれる。

サングラスを胸ポケットに仕舞って、何も通さない瞳で僕を見下ろす。

「わりぃ、遅くなっちまった。待たせたか」

「い、いいえ、大丈夫です」

ふるりと頭を振るえば、もう一度謝って僕の頭を優しく撫でてくれる。

「んで、こいつはなんだ」

見下ろした先に倒れている男の人は静雄さんの投げた”とまれ”標識の看板が顔に当たったらしい。

さっきまで大切そうに持っていたスケッチブックを放り投げて、両手で顔を押さえている。

赤いものが見えたから鼻血も出ているかもしれない。

「帝人、こいつに何された」

「フリーハグしようって言われて……」

広場に着いてから、今までの出来事を簡単に説明する。

なるべき静雄さんが怒らないように、話したつもり、だったんだけれど。

「フリーハグ、だぁ?俺はそういう見せ掛けの愛ってやつがいっちばん嫌いなんだよなぁ……!」

「し、しずおさん……」

地獄から響くような低い声。

静雄さんの怒りのボルテージが最高潮になっているんだって声だけで分かる。

(や、やばい!)

僕を腕から放すと、静雄さんは一歩ずつゆっくりと倒れている男の人に近付いていく。

ぽきぽき、と普通の人ではそんなに聞こえないはずの音が大きいのは、静雄さんの骨が丈夫すぎる証拠だ。

倒れこんでいる男の人も顔色は真っ青、顔は赤色に染めながら後退りをしている。

本気に近いぐらい怒りモードの静雄さんは雰囲気だけで、怖い。

「しかも、帝人となんて……許さねぇ……だったら俺が代わりにハグってやつをしてやるよ」

静雄さんの力があの男の人を抱き締めれば、全身の骨を折れると思う。

きっと、そういう意味で静雄さんは言ったんだ。

でも、分かっているけれど、それはすごく嫌だった。

自分だって静雄さん以外の男の人に抱き締められたくないけれど、静雄さんが抱き締めるのも、嫌だ。





「や、やだ……っ!!」





「帝人?」

思わず出てしまった大きな声に、静雄さんも吃驚した様子で振り向く。

僕自身も、驚いた。

静雄さんの怒りを止めるためではなくて、自分の気持ちが溢れ出た言葉に。

「あ、あの……」

「どうした」

想像するだけで、本当に嫌だった。

あの優しくて暖かくていつも気遣ってくれる腕が、他の人を包み込むのが。

どんな理由だとしても、許せなかった。

(ぼくって、ヤキモチ焼きなんだ……)

自分が結構嫉妬深い方なんだって、初めて知った。

恥ずかしくて、顔の体温が上がっているのが分かる。

(でも、そんなこと静雄さんに、言えない)

「ご、ごめんなさい。あの、もう、いいです。静雄さんとせっかく会えたのに」

赤くなる頬を感じながら、両手を左右に振ると、静雄さんも怒りを納めるようにサングラスをもう一度掛ける。

「……ああ、そうだな。時間がもったいねぇな」

こういう時、この人は大人だなぁって思う。

僕の態度がおかしいと感じても、静雄さんは追及してこない。

僕の拙い嘘に騙されてくれる。

「……これで許してやる。二度とその文字を俺に見せるな。今度帝人に手ぇ出したら殺す」

静雄さんが足を振りかざすと、男の人の呻き声が止まった。

たぶん、気絶しちゃったんだろう。

平和を祈っていただけなのにこんな目になんてしまったのはほんの少しだけ可哀想だと思ったけれど、自業自得じゃないかなとも思う。

それよりも、静雄さんが男の人を抱き締めずに、もう一度大きな手で肩を抱き締めてくれているのが嬉しい。

「行くか」

「…はい」

暖かい大人の人の手を感じながら、僕はそっと体を静雄さんに寄せた。





(NO MORE ふりーはぐ!はぐ!/END)