「―――――――…静雄さんなんて、嫌いですッ……!!」
帝人から初めてぶつけられた、大きな声。
切欠は覚えていない。
どうして帝人が怒ったのか分からない。
あの小さな頭の中で帝人がたくさんたくさん考えて、溜まっちまってたんだろう。
大人として、あいつを引きずり込んじまった責任が俺にはある。
帝人が苦しんでいるのに気付かなかった、俺が悪い。
嫌いと言われた瞬間はさすがにショックだったが、それよりも衝撃を受けたのは、自分自身に、だ。
ショックの後に襲った、本当に小さなものだったが、拳を握った怒りの衝動。
それは瞬間だったが、あいつに対して暴力を振るおうとした自分がいた。
帝人といる時は、落ち着いていられたはずだった。
ノミ蟲に会っちまった時は例外として、些細な怒り、いつもなら爆発しちまっていたのもギリギリだが抑えられた。
隣に帝人がいるから。
あいつが大きな瞳を丸くしたり、頬を赤く染めたり、黒目で真っ直ぐと見つめられたりすれば、怒りは無くなっていく。
カッとなる気持ちが分散して、代わりに帝人への優しい感情が埋め尽くしていった。
帝人に助けられながらだが、ようやく自分の力や感情をコントロール出来るようになるんじゃねぇかと思い始めてたのに。
(情けねぇ……ッ)
掴んだカードレールが簡単に凹んで、俺の指の跡が残る。
帝人はガードレールよりも小さくて脆い体をしているのに、こんな力をぶつけたら壊しちまう。
可愛い笑顔が見れなくなっちまう。
あの、声が、俺の名前を呼んでくれなくなっちまう。
しずお、さん
――――――じゃあ、離れるか。壊しちまう前に。
帝人の声が聞こえた後に、何度も何度も繰り返している質問を、俺自身が尋ねる。
「………無理、だ」
質問に対する答えも、いつも同じだ。
―――――あいつを離すことは、出来ない。
(帝人……!)
足は勝手に走り出す、目は勝手に周囲を見回す。
「………ッ」
帝人は、離せない。
今までこの力のせいで色んな奴が俺から離れて行った。
残ったのは幽と変態の医者ぐらいだ。
それは仕方がないことで、俺は諦めていた。
幽や変態医者がいなくなったとしても、追いかけはしねぇだろう。
帝人は地獄の底に逃げようと、追い続ける。
あいつだけは逃がさねぇ。
帝人がいなくなっちまったら、俺は本当に人じゃなくなっちまう。
だから、もっともっと強くなって、この力を必ずコントロールする。
帝人を逃がさないために。
(どこに行った……ッ、帝人…!!)
考えが纏まった俺が今やるのは、ただ一つ。
泣きそうになるんじゃねぇかと思うぐらい大きな目を見開いていた、あいつを探し出して抱き締める。
帝人は、優しくていい子だ。
そういう感情を抜きにしても、そう思う。
おそらく嫌いって言っちまったことに落ち込んでいるはずだ。
足が向かった先はよく待ち合わせに使う、音符のある広場。
(――――――…いた……!!)
予想通り、帝人はそこにいた。
細い体で立ち尽くして携帯を握り締めている。
緩やかに震えるスラックスのポケットから携帯を取り出すと、着信を伝えていた。
広場の外から中にいる帝人まで走って近付きなら、携帯を耳にあてる。
「はい」
『あの、しずおさん………、僕です』
ゆっくりと気配を消しながら寄っていく。
猫背になっている寒そうな後姿。
一生懸命携帯を握ってきている、俺の携帯の向こうにいる相手。
『………』
『嫌いなんて言って、ごめんなさい』
「全くだ。生まれて初めて死ぬかと思ったぜ、本気で」
腕の中に囲おうとすると、ビクリッと小さな体が跳ねた。
「しずお、さ……?」
「ああ」
俺だと確認すると、帝人の体から力が抜けていく。
「ごめん、なさい」
ごめんなさいと何度も繰り返す帝人を後ろから抱き締める。
帝人を傷付けることのない、腕の強さで。
最初に力のコントロールをするようになったのは、帝人の抱き締める腕の力だった。
「なんだか、色々、苛々しちゃって、……ごめんなさい」
本当は色々の部分を聞きたかったが、今じゃなくてもいい。
「……馬鹿。俺のほうこそ、悪かった」
「え……」
小さく頭を下げると、こつり、と帝人の肩に頭がぶつかる。
俺の腕の中で帝人が体を動かす。
視線があう位置に帝人がいる。
「お前をそんなふうに追い詰めちまってたのにも気付かなかった」
それに、と言葉を続けるのはいつもより勇気が言った。
だが、帝人も勇気を振り絞って、俺に連絡してきてくれた。
帝人のごめんなさいに俺も真っ直ぐと答えないといけない。
「俺は、嫌いと言われた一瞬、お前を殴ろうとした」
大きな瞳が少しだけ見開く。
恐怖が浮かんでないだけいい。
(どう、思ってる)
「………」
「お前は分からなかったかもしれねぇけどな。………俺が、怖くねぇか」
答えが怖いのは生まれて初めてだ。
怖い、と言われても、帝人を離せない。
「怖くない、です」
腕の中にある小さな黒頭を左右に揺れる。
黒くて丸い瞳が俺を映したまま。
穏やかな表情の帝人の言葉に嘘はない。
「静雄さんは、殴らなかった。僕が、酷いことを言ったのに」
そっと帝人の小さな手のひらが俺の腕にのせられる。
「思い上がり過ぎかもしれないけど、静雄さんは力のコントロールが出来るって信じてます。だって、この腕は僕を殴らなかったから」
途端に心が、軽くなった。
帝人を殴りそうになって嫌いと言われたことよりも自分自身にむかついて悔しくて荒れていた心が凪いでいく。
「……そうか」
ふわりと照れくさそうに笑った帝人を、俺はやっぱり手放せねぇと思った。
(さがしているあの子/END)