初めて、静雄さんに抱きしめられたのは、まだこういう関係になる前。
たまたまサンシャイン通りの路地裏を歩いていたら、静雄さんがイザヤさんといつものように喧嘩していたところに出くわした。
巻き込まれたくなくて、こそこそと逃げようとしたんだけれど。
瞬間、イザヤさんの細長い瞳がきらりと輝いたのに僕は気付かなかった。
突然飛んできたポストが視界に入った時点で避けるのは絶対に無理だった。
たぶん視界に入る前に飛んでいる真っ赤なポストに気付いたとしても、避けられなかったと思うけど。
きゅっと目蓋を閉じながら、ぶつかった時の衝撃はどれぐらい痛いのかなぁ、とか、ああ僕死んじゃうんだぁとか。
意外と頭の中は冷静だったのを覚えている。
でも、何秒経ってもポストがぶつかる衝撃は襲ってこない。
もう天国にいっちゃったかなぁと思ったけれど、天国にしては随分と周りが、がやがや、ざわざわしている。
(……あれ?)
無機物のポストの代わりに感じるのは、優しい人の温もり。
……に、浸っていようとしたのに、ぎゅうぎゅうに顔が煙草の匂いがするシャツに押し当てられて、痛い。
ちょっと、あの、体の骨がみしみしいっているような、気はする。
別の意味で、やっぱり痛い。
ゆっくりと目蓋を持ち上げると、最初に映ったのは光にきらきら輝く綺麗な金色の髪。
地面に視線を落とせば、玩具のように転がっているポスト。
細いのに、どんなプロレスラーや相撲取りよりも強い強い腕で僕を守ってくれていた。
ちょっと、かなり、僕の体にまわっている腕の力が強くて痛いけれど、それを言う勇気は僕になかった。
それに、この人が優しい人で、どこかの誰かのように意地悪で強い力を出しているんじゃないって知っているから。
「……静雄、さん」
怖いけれど、憧れをどうしても持ってしまう人の名前を呼べば、さっきまで怒りに満ち溢れていた人とは別人のように表情が穏やかだ。
「おう。大丈夫か、竜ヶ峰」
「は、はい」
こくりと頷けば、かなり痛かった背中が解放される。
痛いし苦しかったけれど、ぎゅと抱きしめられたんだなと思ったら、なんか、胸がほわりと動いた。
離れたんだと思えば、なんか、淋しくなった。
ぼきぼきいい始めていた背中が寒い。
「竜ヶ峰?」
「あ…っ、ほ、本当に大丈夫です!助けてもらって、ありがとうございますっ」
「助けるも何も俺が投げてあのクソ蟲が避けやがったせいでお前を巻き込んじまったからな。悪かったな」
ぽん、ときっと彼にしては手加減してくれたんだと思うけれど、こほっと咳が漏れるほど、痛かった。
でも、少しだけ、背中が暖かくなった。
それから、僕は、また、静雄さんの腕の中にいる。
背中は痛くないし、シャツにあたっている顔はこの人が生きている証の心臓、とくん、とくん、を聞く余裕もある。
「苦しくねぇか、帝人」
「大丈夫です」
「痛くはねぇか」
「ん、平気ですよ」
いつも繰り返されるやりとり。
ちゅ、と小さなキスをしながら、間に何度も訊ねてくる。
恥ずかしいし、静雄さんに気を使ってもらいたくなかったから、少し前までは聞かれるのが嫌だった。
どうしていつも聞くんですか、とちょっとだけ不機嫌な声で訊ねてみたのに、照れくさそうに視線を逸らされた。
どうしてどうしてと繰り返せば、静雄さんは一番最初に僕を抱きしめた時のことを覚えていたらしい。
やさしいうでの持ち主は僕が腕の中で苦しいと思っていたのも知っていたみたいだった。
だから、静雄さんは聞いてくる。
何度も、何度も、いつも、いつも。
僕が苦しくないように、痛くないように。
照れくさくて恥ずかしいけれど、大切にしてもらえているんだなぁと思えば、僕も素直に答えるようになった。
その度に腕の力が緩くなってきて、僕も静雄さんの広い背中に腕をまわせるようにもなった。
鼻を擽る煙草の匂い、でもそれだけじゃなくて、僕がさっき食べたチョコレートケーキの匂いも、ある。
ぴたりとくっ付きあえるのは、本当に幸せ。
(きっと、僕はあの痛くて強くて、でも優しいやさしい腕に抱き締められた時に静雄さんを好きになったんだろうな、ぁ)
「静雄、さん」
「ん?」
「……だいすき、です」
「ッ……」
「く、くるしい、……っっ!!!」
「わ、わりぃ!!」
(やさしいうで/END)