PINK PAMPKIN―――――それは、魔女の名前。
翠深い森の奥の、更に奥に、彼らの集落は存在しています。
甘い食べ物が主食の彼らにとって、人間の世界のハロウィンはとても大切な日です。
小さな集落の小さな家に住んでいる彼らの名前の由来。
―――――ハロウィンの日に人間から貰ったお菓子を食べて主に生活をしているから。
ビスケットを1枚とチョコレートを2粒、キャンディを1つ。
それが、ピンクパンプキンの1日の食事です。
10から15歳までのピンクパンプキンは、ハロウィンの日の太陽が沈んだ時、人間の世界に訪れます。
自分達の、仲間達の一年間の食料を蓄えるために。
―――――――お菓子をくれないと、悪戯するぞ
魔法の言葉で、甘い甘い、キャラメルに、口の上で蕩けるチョコレートを手に入れることが出来ます。
去年はさくさくふわふわしているのに、薔薇の味がするマカロンを貰ったピンクパンプキンもいます。
(ひとつ上の正臣なんて、クリームがたっくさん入っているケーキを貰ってきていたのに、)
「なんで、なんで…、ぼくは、何ももらえないんだろう……」
大きな黒いとんがり帽で小さな闇色の頭を隠している魔女、帝人もピンクパンプキンです。
帝人は、今年10になり、生まれて初めて人間の世界にやってきました。
グランパやグランマ、村長や幼馴染、みんなからハロウィンの日について聞いていた帝人にとっては、夢にまで見た日。
『きっと人間の世界は甘い匂いで包まれているんだろうなあ……』
ピンクパンプキンの中でも特に甘党な帝人はハロウィンの前の日は興奮して中々眠れませんでした。
(とても楽しみにしていた、のに……)
本当だったら、このとんがり帽の中にたくさんのお菓子を詰め込んでいるはずだったのに。
帝人の体のどこにも、お菓子はありません。
(どうして誰もお菓子をくれないんだろう……)
数分前の出来事を思い出すと、大きな黒い瞳が涙で潤んできます。
魔女は暗闇が好きなので、人間が通らない路地裏で膝を抱えて座り込んでいました。
膝に顔を隠すようにして、ぐすっと鼻を鳴らします。
わくわくしながら、みんなに教えてもらった魔法の言葉を何度も繰り返しました。
帝人がやってきたのは、日本の東京、池袋という街でした。
『お、おかし、くれないと、いたずら、します……っ』
一番最初に帝人がそう言ったのは、顔中に包帯を巻いた男の人でした。
『へぇ…こんなカワイ子ちゃんにイタズラされるなんて嬉しいなあ』
『ぇ…っ』
『ほら、イタズラ、して…?』
『あ、あの…っ』
『してくれないなら、……俺が、しちゃうぜ』
『ッ…!!』
すぐにお菓子を貰えると思ったのに、包帯の男の人が逆に悪戯をしろと言い出したではありませんか。
その上、帝人が驚くと、細腕をぎゅっと掴み、帝人を引き寄せて小さな耳の傍で低く囁いたのです。
何故だか怖くなった帝人は少しだけ魔法を使って腕を振りほどき、逃げ出したのでした。
次に声をかけた人は、帝人がすっぽりと隠れてしまいそうなほど大きい人間でしたが、とても優しそうな男の人でした。
『お菓子……?腹でも減ってるのか』
『あ…、は、はい……』
おなかはそんなに空いてなかったのですが、嘘を吐いてしまいました。
帝人が心の中でごめんなさいと謝っていると、後ろから女の人と彼よりも少しだけ小さい男の人がやってきました。
『なになにドタチン!コスプレ!!きゃーーー!魔女っこじゃん!かわゆす!!』
『お!今流行りのオトコノ娘ってやつですね!!門田さんも流行にのるなんてさすがですね!』
『……お前ら、何言ってるんだ。こいつはな……』
後から来た人間たちの声の大きさに吃驚して帝人は慌ててその場から走り去りました。
小さなピンクパンプキンたちはみな穏やかな性格なので、声を荒げたりはしないのです。
『こ、わかったあ……』
気を取り直して、三番目に声をかけたのは、帝人と同じ髪の色をしている男の人でした。
格好も帝人に似た黒い服を着ていたので、もしかしたら魔女が好きなのかなあと思い、声をかけてみたのです。
『お、お菓子をくれないと、悪戯をします…っ』
『……ふぅん』
男の人は楽しそうに帝人を見つめると、ゆっくりと近寄ってきます。
こつん、こつん、と足音がやけに大きく聞こえるのは気のせいでしょうか。
『お菓子、あげる』
『え…!ほ、ほんと、ですか…っ!?』
『うん。その代わり、悪戯をさせてよ』
『は……?』
『君に悪戯させてって言ってるんだ。ああ、お菓子を使って悪戯してもいいねぇ』
優しげな低い声なのに、どうして怖いと感じるのでしょうか。
『甘いケーキもプリンもたくさん食べさせてあげるから、……おいで』
長くて白い指を差し伸ばされましたが、帝人は背中に走る震えを信じて、魔法を使ってその場から消えました。
人間の前で極力魔法を使ってはいけないと約束事であるのですが、この時は魔法を使うしかありませんでした。
(ぼく、このままじゃ帰れないよ……)
お菓子はピンクパンプキンの大切な食料。
ハロウィンに人間から貰えるお菓子は、帝人の仲間たちの命の源なのです。
キャンディもクッキーも貰っていないのに、村には帰れません。
しかし、月を見ると、もうハロウィンの日が終わりに近づいてきていることが分かります。
ハロウィンの日が終わって1時間でピンクパンプキンは集落に残った大人たちの魔法によって強制的に戻されます。
小さなピンクパンプキン達が人間のサイズになれるのはたった8時間だけなのです。
(こんなに人間が怖いなんて、思わなかった……)
でも、と挫けそうになる心を何度も励まして、もう一度と思った時、物音が間近でしました。
「ぐふッ…!」
「や、やめてく……ぐぁあッ」
突然、座っている帝人の足元に大きな人間達が倒れてきたのです。
「っっ……!!!」
(ち…!!)
争うことを決してしないピンクパンプキンの帝人は、血を見ただけで怖くて怖くてたまりません。
(ど、どうしよ……っ)
「……まだいたのか」
小さな舌打ちをした人間が、暴力を振るったのだと分かりました。
逃げたくて呪文を唱えようとしても、怖くて唇が震えて、上手く唱えられません。
帝人は魔法が上手な方ではないので、きちんと言えないと使えないのです。
「何だ、お前」
「…っっ」
(ひ…っ、た、たたかれる…っっ)
大きな帽子ごと頭を抱えて、体を小さくして、痛みに耐えようとしました。
しかし、どれだけ待っても、痛みはやってきませんでした。
視線だけをそろりと上げると、暴力を振るった人間は苦い煙草を吸いながら帝人に背中を向けて歩き出そうとしていました。
(きん、いろ……お日様の色と、同じ)
男の人は、帝人が大好きな色と同じ髪でした。
帝人に暴力を振るうこともせず、何も聞かずに立ち去ろうとしていた人間を帝人は悪い人間だとは思えませんでした。
何より、大好きな金色を持っているのです。
「あ、あの……」
「ん?」
心の中にある全部の勇気を振り絞って、声を出します。
「お、お菓子をくれないと、いたずら、します……!!」
立ち上がると、帝人は金色の男の人の肩ぐらいしかありません。
上から見下ろされる鋭い視線が、帝人の小さな体を突き刺します。
「……あ?」
苛立ったような声音に、帝人の小さな体が竦み上がりました。
「っっ……!!!!」
(や、やっぱり、こわい……っ)
言葉を詰まらせながら、自動販売機に隠れました。
「……菓子が食いてぇのか」
「っ……」
きゅるるるるるー……、大きなおなかの鳴る音は、金色の男の人が近づいてきたと同時に路地裏に響きました。
「ご、ご、ごめん、なさい……っ」
(は、はずかしい、よ…ぉ、)
出てくる前にチョコレートがコーティングされたビスケットを半分食べてきたはずなのに。
いろいろな出来事のせいで、帝人の小さな小さなおなかも空腹を訴えたようでした。
「くっ」
金色の髪の男の人は楽しそうに声をたてて笑い出しました。
「………」
笑った顔は、とても綺麗で、帝人は思わずぼーっと見惚れてしまいます。
ピンクパンプキンは甘い物も好きでしたが、綺麗なものもとても好きです。
さっきまであんなに怖い顔をしていた人間が、こんなふうに笑うとは思ってもいませんでした。
綺麗な笑顔に恐怖が瞬間どこかへ消え去りました。
すると、金色の男の人は帝人に向けて長い腕を伸ばしてきました。
そして、帝人が驚く暇も無く、小さな体を抱き上げてしまったのです。
「あ、あのっ!!」
「腹減ってるんだろう?甘いもん食わせてやる」
「え……」
「この方が早い」
両腕に抱き上げられ、それなのに、近くで見る男の人には大変そうな表情ひとつありません。
普段は人間よりももっと小さい姿をしていますが、今は人間と同じ大きさになっています、重さもそうです。
軽い足取りで歩き出すと、人間がたくさんいる道を金色の男の人は帝人を抱き上げたまま歩いていきます。
じろじろと見られているのに、男の人は全く気にしていないようです。
「おも、たくないですか……?」
「お前、軽すぎだ。ちゃんと飯を食え」
恐る恐る尋ねると、眉間に皺は出来ていますが、きちんと答えてくれます。
体の揺れる振動も小さく、大切に抱えてくれている……?と帝人は思うのです。
だから、口答えをするように、唇を開きました。
「ご飯?お菓子、食べてます」
「菓子が美味いのは分かるが、それ以外もだ」
「それ、以外……。お菓子しか、食べられません……」
信じてもらえないだろうと思いましたが、帝人は正直に話しました。
男の人は帝人を見下ろすと、こつりと長い指で帝人の額に触れました。
「事務所にケーキがあるからそれでいいか」
「ケーキ!!」
「あそこのショートケーキは美味いぜ」
「ショートケーキ!!!」
「好きか」
「はいっ!だいすき、ですっ!!」
生クリームがたっぷりかかって、苺がじゅわりと甘酸っぱくて、スポンジがふわふわなショートケーキ。
まだ1回しか食べたことのないもので、仲間達には悪いと思いましたが嬉しくて仕方がありません。
「そうか」
帝人は男の人の腕の中ではしゃいでしまいました。
(ぁ……っ)
この人間が自分の言葉を疑わなかったことに気付くのです。
(……しんじて、くれた…?)
思えばこの人間は最初から帝人を疑いませんでした。
あんな暗闇に独りでいたことも、この格好も、帝人の言葉も。
ハロウィンの日だからといって、闇の路地に魔女の姿の子供がいるのがおかしいことだと、帝人でもわかります。
人間の子供が魔女の格好をするのはハロウィンだけですが、人間の子供は闇の中を独りで歩かないから。
(やさしい、にんげん……)
人間の世界で初めて、優しいと心から思える人間に出会えました。
「名前」
「ぇ、ぁ……、み、みかど、です」
「俺は平和島静雄だ」
「へ、…じま、ずお……?」
金色の男の人の名前は長くて、子供の帝人には覚えられませんでした。
魔女の名前は三文字が基本なのです。
「静雄でいい」
「しずお……さん?」
「……おう」
言葉にすると、何故だか心がほわりと暖かくなりました。
(まだケーキ食べてないのに……)
味わったことのない不思議な感覚を心で感じながら、帝人は甘い甘いケーキへと想いを馳せらしました。
(ピンクパンプキン/to be countinue……??)