全身がかじかむような冬の寒さが隠れ出して、まだお尻は出しているけれど、ようやく春の陽気が頭を出しはじめた、この時期。
学校では見慣れている桜だけど、違う場所、それから、特別な人と一緒に見ていると全く違って、綺麗だなぁって純粋に思える。
「すごい、ですね…」
「ああ。ここのは花がでかくて見応えがある」
もう池袋に住んで結構経つけれど、まだまだ知らない場所があって。
静雄さんが連れてきてくれた住宅街の端にある小さな公園には、見事な桜の木があった。
静雄さんはこの辺りに取り立てに来て、知ったらしい。
「あんまり上ばかり見てると花びらが口に入っちまうぞ」
「ぁ…」
小さく、くすりと笑って髪の毛に捕まっていた桃色の花びらを長い指でとってくれる。
そのまま髪を梳くように頭を撫でられて、静雄さんの顔がだんだんと近付いてくる。
「っ……」
キュッと深く目蓋を閉じると唇に優しくて柔らかい、キス。
触れ合って、簡単に離れていくのを二回。
歩いている人から見えないように、静雄さんが長い腕で僕の肩を抱く。
静雄さんの体に僕の身長だとすっぽりと隠れる。
「…しずお、さん」
風に誘われるように瞳を開ければ、サングラス越しじゃない、穏やかで暖かい眼差しにぶつかる。
それだけで体がとろけそうになって、僕は慌てて静雄さんから離れて、桜の幹に手を当てる。
「ほ、ほんと、綺麗ですね?」
「ああ…」
口を開けないで、視線だけを見上げると、突然春風が強く吹き付けてくる。
「わ……っ」
視界いっぱいに桃色が広がって、体まで飲み込まれそうな、なって。
「っっ…!!」
強い力に腕を引かれて、視界が目まぐるしく変わる。今度は、目の前に真っ白なシャツがある。
硬い感触にここがどこか、すぐに分かる。
少し視線を動かせば、何よりもきれいな、お日様のような金色があるから。
「し、しずおさん?」
「………」
「どうしたんですか」
恐る恐る広い背中に腕を伸ばして、指先でそっと触れれば、それ以上の力で抱き締められる。
背骨が軋みそうになるけれど、痛くはない。
静雄さんが加減をしてくれているから。
「静雄、さん?」
「………えちまうかと、思った」
「え、」
僕の肩に押しあてられた言葉がうまく聞き取れない。息があたってくすぐったい首を竦める。
「お前が、消えちまうかと、思って、よ」
---------------------------------悲しい低い声。
どうしてそんなふうに感じたのか分からないけれど、ぼんやりと昔おばあちゃんに聞いた桜の言い伝えを思い出す。
美しい桜の木の下には美女の死体が埋まっていて、人を誘うんだって。
ただの言い伝えだと思うけれど、静雄さんはそれを感じたのかもしれない。
「……大丈夫です。僕は、絶対にいなくなりません。静雄さんの傍に、いたいです、から」
「………ああ」
「また、この桜、一緒に見たいです」
「……おう」
指先に力をこめると、静雄さんの大きな体が小さくだけれど、震える。
(しずおさん)
誰よりも強い、この人が僕を見失いそうになって怯えている。
僕を抱き締めている静雄さんが、すごく大好きだと、いとしいと思った。
(桜さくらサクラ/END)