今日の俺は、上機嫌だった。



回収も上手く終わって、いつもよりも早くトムさんと別れた。

時間を見れば丁度帝人の学校が終わる時間だった。

ケータイで連絡して、どっかで茶でも飲んで俺んちに行ってもいい。

きっと帝人は柔らかい頬を緩めて、はいっ!と可愛い返事をくれるはずだ。

頭の中が帝人の笑顔で広がっていくのを感じながら、スラックスのポケットからケータイを取り出した。

ここまでは、幸せな日常だった。

この後、制服姿でハニカム帝人とサンシャイン通りのろってりあでバニラシェイクを飲んでいたはずだった。

それから俺の家のベッドの上で可愛がるはずだったのに。






「やぁ、しずちゃん」






俺の怒りのボタンを簡単に押す、腹の底からむかついてくる声が聞こえてくるまでは。

「……ッッ」

「随分とご機嫌がいいみたいだね」

サングラスを外しながら声の方を向くと、幸せな日常ってやつが音をたてて崩れていく。

ひらりと揺れる骨をボキボキにしてやりたく手、全てのパーツをボコボコにしてやりたい顔。

「……ブクロで何してやがる」

「しずちゃんに会いに」

ブチッと音を鳴らして切れていく血管。

怒りが血を支配していく感覚。

制服姿の可愛い帝人も、ろってりあのほんのり甘いバニラシェイクも、ベッドも、何もかもが無くなる。

目の前にいるノミ蟲野郎のせいで……ッ!!

「いーざーやあああああ!!!!!」

脳裏が怒殺怒殺の文字に埋められていく。

考えられるのは、このノミ蟲を一刻も早く殺して池袋から放り出す、それだけだ。

横にあった看板をコンクリートから引っこ抜く。

『めいどにゃんこ耳かきはこちらです』と女が描かれた看板なら、無くなっても人様の迷惑にはならねぇ。

「死ね!!!!殺す!!!!」

「ふふ、やだなぁ、しずちゃん。今日はプレゼントを渡しに来ただけなのに」

「うるせえええ!!死ね、ノミ蟲がああああ!!!!」

振りかぶった看板をひょいと忌々しい避け方をして、イザヤが走り出す。

「しずちゃーん!こっち、こっち!!」

「イザヤあああああ!ぶっ殺す…ッ!!!」

まるで人をおちょくっているように、イザヤは走るスピードを上げたり、下げたりしている。

だが、そんなことは俺にはどうでもいい。

ただ捕まえて、ぶん殴って、二度と俺の前に現れない様にするだけだ。

「しーずちゃん、ほらーこっちだよー!」

「くそ…ッ、殺す、ぶっ殺す、百回殺す、千回殺す…ッ!!!」

歩行者を掻き分けて、池袋の狭い路地を抜けると、イザヤは四階造りの細いビルに入っていく。

「どこ行きやがった…ッ!!!」

ビルの中に入れば更に狭くなっている階段を見上げると、すぐ上からバタンッと安いガラス戸が閉まる音。

「二階か…ッ」

階段を昇るのもうざってぇ。

手摺に手を掛けて、そのまま、足に力を込める。

地面を思いっきり蹴り飛ばせば、体は二階に到達する。

そこが、何だろうと関係ない。

俺の生活を壊す、ノミ蟲がここにいる。

「おかえりなさ……」

「いざやッッ!!!!!」

ガラス戸を蹴破ると、目の前に立っていた女がキャアッと悲鳴をあげる。

狭い部屋の中は個室に幾つか別れているようで、悲鳴を聞きつけた従業員や女や客がそこからぞろぞろと出てくる。

俺の顔を見るとすぐに野太い声を出して逃げていく。

そこで何がされているかは興味もねぇしどうでもいい。

見渡す限り、イザヤはいねぇ。

「くそ……ッ!!どこ行きやがった!!」

怯える視線に晒されたまま部屋の奥に進んでいくと、窓ガラスが開く音。

じゃあね、とノミ蟲が逃げ去る時の常套句が聞こえた。

「イザヤああああ!!!!!」

区切られているカーテンを千切って、個室の中に入っていく。

変な格好をした女が座っているが、どうでもいい。

窓は開いていて、そこから下を覗き見ると、イザヤがひらひらと手を振って走り去っていく。

「逃がすかあああ!!」

窓枠に足をかけて、飛び出そうと体に力を入れた。

くい、とシャツが後ろに引っ張られる。

怒りのまま後ろを向くと、座っていたはずの女が、いた。

「………しずお、さん」

呼ばれた声は、どこかで聞き覚えがある。

猫の耳みたいなのを頭につけて、遊馬崎が泣いて喜ぶようなひらひらの、所謂メイド服ってやつを着ている。

俺を止めようとしているのなら、随分いい度胸だ。

「……あぁッ!じゃますんじゃ……!!」







「しずお、さん。ぼく、……です」







ゆっくりと上がった赤くなっている小さな顔。

認識した瞬間、ノミ蟲への怒りがゆっくりと収まっていく。

「み、みか、ど……?」

「ッ、」

こくり、と恥ずかしそうに猫耳をつけた頭が上下に揺れる。

闇色なのに柔らかい髪から同じ色をした猫耳が生えていて、細い体を包んでいる制服が白と黒のレースで揺れるメイド服に変わっている。

すらりと伸びている白い足は太腿までのガードルで隠れている。

ご丁寧にメイド服の尻のとこから耳と同じ色の尻尾までついてやがる。

「お前…ッ、なんで、こんなところに、ってか、なんでそんな格好して…ッ」

言いたい事も聞きたいことも山ほどあって、言葉が切れる。

「……今日から中間試験期間に入るから、少しだけ学校が早く終わったんです。そしたら、校門のところに臨也さんがいて、」

「ッ……!!」

(やっぱりあのノミ蟲野郎が…ッッ!!)

手を置いていた窓枠がボキッと折れる。

俺の怒りのメーターが振り切れる直前になっているのにも気付かず、短すぎるスカートを恥ずかしそうにきゅっと握りながら帝人が言葉を続ける。

「今日は、静雄さんの誕生日なんだよ、って教えてくれて、でも、僕、知らなかったからプレゼント用意出来てなくて、そうしたら、臨也さんが、」

「誕生日……?」

「静雄さんが喜ぶこと教えてあげるって……、だから、僕、この格好、で、」

「……分かった」

事情は分かった。

やっぱり、原因はあのノミ蟲だ。

帝人に嘘を教えて、こんな格好をさせやがった。

人の可愛い可愛い恋人を玩具にしやがった。

(あいつは今すぐ殺す。絶対殺す。瞬殺する)

ボロボロになっている窓枠にもう一度足をかけて、帝人に背をむけた。







「やっぱり、気持ち……悪いですよ、ね?」







後ろから聞こえてきた、震える、泣き出す寸前の小さな声。

(馬鹿か、俺は)

今することはイザヤの蟲野郎を殺すことじゃなくて、俺の態度に泣き出しそうになっている可愛い帝人を抱き締めることだ。

(情けねぇな)

帝人にこんなことを言わせるなんてよ。

「悪くねぇよ」

「え……」

両腕を細い体に回して、触れる程度の力を込める。

これで充分帝人を強く抱き締めているらしい。

やっぱり柔らかい頬に唇を押し当てると、俯いていた頭がじわじわと上向いてくる。

「似合うってんだよ、馬鹿」

「しずお、さん……」

「可愛い」

(どんな格好してても帝人は可愛いけどな)

「こんな猫がいたらすぐに浚っちまう位、可愛い」

「………」

「あのノミ蟲の差し金ってのは殺してぇぐらい腹立つが、……可愛い」

「もう、いいです……」

「そうか?」

頭が揺れるのと一緒に猫耳も揺れる。

耳まで真っ赤になっているが、よかった、と小さく呟いて、帝人は体の力を抜く。

目尻に少し溜まっている涙を唇で吸い取って、小さな頭を撫でる。

「それと、俺の誕生日はとっくに終わってる」

「え、えええ……っ!!」

ようやく自分がイザヤの野郎に騙されたのを知ったらしい。

目を驚きで真ん丸にした後、俺の腕の中でしゅん、と肩を落とす。

「頼むからあのノミ蟲を簡単に信用するな」

「わ、分かりました」

分かったと言っても、きっと純粋な帝人はすぐにあのクソ野郎に騙されるだろう。

(まぁ、近い内に見つけて殺すから帝人が分からなくてもかまわねぇ)

今日は殺さない。

今日は、…………。

「うし」

「わ、わあっ!し、しずお、さんっ!?」

ソファに置いてあった白い毛布で帝人の体を包んで、抱き上げる。

俺としては可愛いメイド服のまま外に連れ出して見せ付けてやりたいが、帝人は恥ずかしがって泣くだろう。

泣く帝人は俺だけのもんだ。

「行くぞ」





ノミ蟲に会うまで考えていた、幸せな日常を途中から始める為に。





(にゃんにゃん/END)