ふわりと体が浮く。

静雄さんが僕を抱き上げるときの優しい感覚。

涙として水分を出し切った体は力が入らなくて、抵抗なんて出来ない。

する気も、ないけれど。

「………ぁ、」

僕の腕は半年以上振りだったとしても、どこに伸ばせばいいかちゃんと覚えている。

静雄さんの首におずおずと触れると、静雄さんの大きな手のひらが僕の背中を押す。

自分にもっとくっつくように。

何キロもする自動販売機を持ち上げてしまう人だから、僕を片手で抱き上げていても、落とされる不安はない。

(しずお、さ……)

静雄さんが僕を抱き上げた時点で僕達の周のざわめきはもっともっと大きくなるけれど、静雄さんは構わずに僕の体を小さく揺らす。

恥ずかしいと思うけれど、静雄さんから離れたくない。

それでも顔は熱くなるし、泣きじゃくった後の顔を見られるのはいやで、隠すように俯くと空いている静雄さんの手が頭を覆ってくれる。

(……だい、すき)

小さなやさしさが、泣き終わった後で少しだけぼんやりする頭を癒してくれる。

きゅっと首にまわした腕に力を込めると、静雄さんはそのまま歩き出す。

静雄さんが一睨みすると、まるで神話の絵のように人が退いて僕を抱いている静雄さんの通る道が出来る。

「……帝人」

僕を抱いたまま、静雄さんは校門へと続く道沿いにあるベンチに座る。

膝の上に横抱きになると、視線が静雄さんよりもほんのちょっと高くなる。

「まず、……悪かった」

目の前で、金色の頭が後頭部が見えるぐらい深く下がる。

「……しず、お、さ……?」

「お前をこんなに苦しめて、本当に、悪ぃ」

頬にほんのり冷たい手のひらが重なる。

そのまま長い指先が泣きすぎてひりっとする目尻に触れる。

静雄さんの指の冷たさが熱を持っている肌に、気持ちがいい―――――のに、またぼろりと涙が、溢れてくる。

全部出し切ったはずなのに。

「どこから、話せばいい。帝人は何が知りたい。全部話す」

「………」

一番聞きたいのは、――――――――――あの日、聞いた、新羅さんとの会話。

あれから、僕は静雄さんと離れるのを覚悟したんだ。

(……、で、も…)

聞くのは、怖い。

静雄さんはさっき僕を離さないと言ってくれたけれど、不安は全部消えない。

(どう、しよ、う……)

言っていいのか、分からない。

俯きかけた視線を、みかど、と静雄さんの優しい声が止める。

「全部、だ」

合わさった視線で、静雄さんの琥珀色の瞳が優しく僕を見つめていた。

「ぜ、んぶ……?ほんとう、ですか?」

「ああ」

恐る恐る尋ねた返事は、静雄さんの親指が僕の唇に触れたのと同時。

「………聞いた、んです。半年前……、新羅さんに、静雄、さんが……、」

「みかど…、ゆっくりでいい。新羅に俺が、どうした」

「………、」





『分かっていると言ってるだろうが。お前に言われなくても……このまま帝人と付き合っていていいとは思わない』






今でも、耳に残っている、静雄さんの言葉。

不器用な優しい大切な言葉よりも、消えないのがとても悲しいけれど。

自分で、この言葉を言うのはすごく、苦しい。

口を開いても、すぐに閉じる。

静雄さんは何も言わずに、真っ直ぐに僕を見つめて待ってくれる。

背中を支える大きな手のひらが優しく動き出す。

「……し、んら、さんとの、お話を聞き、ました。半年、前………」

「ああ」

「………しずお、さん…が、ぼ、くと……」

「帝人、」

「つきあった、ままで、いいと思ってない、って……っ」

きゅっと目蓋を下ろして、一気に言葉を吐き出す。

たくさん優しい仕種を貰っているのに、――――――――静雄さんが、怖い、静雄さんの答えが、怖い。

「それから、しずおさんっ、僕に会おうとしなかった、し、いけぶくろにも、いなかった、し……っ」

自然に声に、泣きだしそうな音が混ざる。

「きれいな、ふくと、くつ、っ、」

全部の言葉が終わる前に、静雄さんの大きな両手が涙が流れた頬を二つとも覆う。

そのままこつり、と静雄さんと僕の額がこつりと小さく重なった。







「このままじゃ駄目だと思ったんだ、半年前な」







「………ぇ、」

「お前は頭いいし、大学行って卒業して偉い奴になると思う。そんな帝人と一緒にいてぇのに今の俺じゃ釣り合わねぇ」

「しず、……さ…、」

(何を、言っているの……?)

半年前と同じ、言葉を僕は思う。

今は、信じたいのに、信じていいのか、分からないから。

静雄さんが、言うはずが無いと頭が訴えている。







「もっと、お前に釣り合う男になりたかった。…ゆくゆくは、よ、お互いの家族にも紹介したいからな」







(う、そ……っ)

知らない。

そんなことを静雄さんが思っていたなんて、知らない。

釣り合わないと思っていたのは、僕じゃなかったの。

大人で、格好よくて、仕事もしていて、―――――一緒にいても、手の届かない人だと思っていたのに。

(ぼくが、勝手に思っていた、だけ……っ)

家族にも紹介、それはこれからも一緒にいる先にある未来。

「トムさんと社長に頼み込んでもっときちんとした仕事させてもらってたんだ」

静雄さんが、優しく笑う。

ちょっと困ったように。

きっと、自分を責めている、この優しくて、優しすぎる人は。

「大学受験ってのがすげぇ大変ってトムさんが言ってたからよ。邪魔にならねぇように連絡しなかった」

「ぼ、ぼく……っ」

「お前からも連絡が無かったのは、受験だから仕方がねぇって分かってたのに、な」






「……ひでぇ態度とっちまって、…お前をもっと追い詰めちまった。一人っきりで頑張らせちまって、すまねぇ」




「泣きたくても、泣けなかったんだろう。一気にこんなに泣いて、きついだろう?

ごめんな、と米神に温もり。

「……っ!!」

(―――――違う……!)

ぶるりぶるり、何度も首を横に振る。

僕が一人で勝手に勘違いをして、勝手に、全部、してしまったことなのに――――――。

酷い言葉もたくさんぶつけたのに、僕が、悪いのに。

「みかど、お前は何一つ悪くねぇんだ」

「ぼ、くが……っ、ごめ、なさ……っ、ごめなさ……っ!!」

「謝るな、帝人」

「ごめん、なさ………っっ!!!」

静雄さんが僕を想ってしてくれていたのに、全部、全部、勘違いして。

一方的に静雄さんを責めて、勝手に大学を受験して―――――悲劇の主人公を背負っていた。

僕がもっと強くてしっかりしていれば――――――。

静雄さんの言葉をきちんと聞いていれば。

僕は、静雄さんを、とても、とても傷つけてしまった。

酷い言葉をぶつけたまま、連絡も避けて。

「ごめ、なさ……っ、ごめ…っ、しずおさん……っ!!」

静雄さんにしがみ付いて、泣きじゃくりながら謝ることしか僕には出来ない。

その他にどうやって償えばいいのか、分からない。

「ごめ、さ……っ、だから……っ!!」







嫌いにならないでください――――――。






言葉にならない言葉は、静雄さんの優しいキスに消える。

「……ん、」

一瞬重なるだけの、ふんわりとした、キス。

小さなキスなのにすごく体が震えて、力が抜けていく。

唇が離れた瞬間、静かだった周りのざわめきが一気に大きくなる。

男同士、しかも、静雄さんのキスシーンは校門付近を卒業式が終わった後よりも騒々しくさせる。

何も考えられなくなっている僕を、静雄さんはもう一度抱き上げる。

もっと、もっと、たくさん謝らないといけないのに。

唇が痙攣するように揺れて、舌が上手く動かない。

悩みに悩んだ半年が、人生で一番苦しくて、大好きなこの人を傷つけた半年が、ゆっくりと消えていく。

視界に小さく正臣と園原さんが映ったけれど、今の僕の中は静雄さんが占め尽くす。

潤んだ瞳のまま、高くなった静雄さんを見つめると、返事は、と耳元に吐息を一緒に吹きかけられた。

何の返事か、ぼんやりとする頭で考える前に、首は前に動いた。













校門を出ると、静雄さんが、笑う。

ちょっと意地悪に、でも、幸せそうに。


「覚悟しろよ。一生俺はお前を嫌いにはなれねぇからな」


「俺は、長生きするぜ」











(未来へと続く道9/10へと続く)