追ってきてくれる――――卑怯な僕の微かな望みは、叶わない。
明日来てくれる、もしかしたら明後日来てくれるかもしれない、自分からさようならをしたくせに、心の奥底で馬鹿な期待をし続けていた。
優しい人だから気にしてくれるんじゃないか、と。
さようならの意味を問いつめに来てくれるんじゃないか、と。
さようならは精一杯の勇気と覚悟を持って告げたはずなのに、静雄さんに会いたくて、たまらない。
居ないときに来てしまったら悲しすぎるから、ほとんどの時間を家に引きこもるようになった。
寝ている時に来てしまったらと思うと、夜中になっても夜明けになっても眠れない。
すごく女々しいことをしていると自分でも分かっている。
静雄さんが、僕の家に来ないことも、もう連絡がないのも、知っている。
きっと今頃、あの綺麗な革靴を履いて、大人の、美人な女の人と歩いているんだろう。
僕は静雄さんの歩幅に合わせるため手を握って引かれていたけれど、綺麗なその人は、逞しい腕に細くて柔らかい腕を絡めて歩くことが出来る。
―――――――――それでも、それでも、と思ってしまう心が止められない。
そんな静雄さんでもいいから、会いたい。
携帯をずっと抱えていたけれど、静雄さんからの連絡以外はどうでもよかった。
でも、―――――――静雄さんの名前が携帯の画面に表示されることはなかった。
何も連絡もしない実家から、卒業式には行けないということ。
それから、三日後引っ越し業者と一緒に池袋に来ると携帯の留守電に入っていたのは卒業式当日の朝だ。
引っ越しをすることをぼんやりと思い出したのは、卒業式の前日だった。
卒業式に出るために家を出る瞬間、部屋をふと見回すと空の段ボールが点在している。
(はやく、片づけないと、な)
荷物を入れて、台所やお風呂、トイレの掃除もしないといけない。
昨日からやればよかったけれど、出来なかった。
今日は卒業式だけれど、明日になって出来るのも分からない。
(この部屋には静雄さんとの思い出が、多すぎる)
――――――――全部、優しくて、暖かい思い出。
(……がっこう、いこ、)
あんまり考えたく、ない。
久しぶりに出る外はもう暖かくなっていて、春になっていたんだと今更ながらに思う。
桜はまだ花咲いてはいないけれど、緑の蕾が色づき始めている。
きっと、最後の池袋。
少しだけ遠回りをして学校に行く。
睡眠不足と体力の低下で気分はあんまり良くないけれど、三年間ここで過ごしてきたのを確認したかった。
――――――辛いことも、悲しいこともあった。
たくさん傷ついて、人も傷つけて。
それ以上に、楽しくて、幸せで、田舎にいるときからずっと望んでいた平凡じゃない日常を味わえた。
大好きな、もうこれ以上好きになれる人は僕の生涯には現れないと思うぐらい、大切な人とも出会えた。
(……着いた)
来良学園、と書かれた門の前に立つ。
三年前見上げた時は、こんな想いを持って三年後にここに立つなんて思ってもみなかった。
「帝人!」
「……竜ヶ峰くん!」
背中から聞きなれた声に名前を呼ばれる。
自然に顔が笑顔に変わっていくのは、本当に懐かしい感覚だ。
「正臣、園原さん」
「大丈夫か、帝人!連絡も取れないし、顔も見ないし心配してたんだぞ!!」
「竜ヶ峰くん、何か、あったんですか…?」
言葉の通り、とても心配をしてくれている二人の表情に、心の中が少しだけ暖かくなる。
携帯に確かに正臣からも園原さんからも、連絡があったのは知っている。
僕は敢えて、二人の連絡を無視した。
申し訳ない気持ちがようやく湧き上がってくる。
「……ごめ、ん。あの、引越しの準備、があって、実家と池袋を行き来してたんだ」
嘘を吐くのは嫌だったけれど、静雄さんとさようならをして、それでも諦め切れなくて電話を待っていた、なんて言えない。
「……あの、竜ヶ峰くん。目が、赤いです。あと、痩せました、か…?」
「え……」
「顔色も、あまりよくない、です」
どきりと心臓が弾む。
園原さんはやっぱり女の子なんだなぁと思う。
こういう時、すごく鋭い。
「本当だ。おい、帝人。何かあったのならオレ達に言えよ。今日で卒業だからってこれからだってずっと友達なんだぞ」
「……うん、ありがと。正臣、園原さん」
真剣な正臣に、頷く園原さん。
二人には色々助けてもらったし、本当に大切な友人と聞かれたら間違いなく正臣と園原の名前を言う。
正臣は新宿にある専門学校に、園原さんは御茶ノ水にある女子大学に進学する。
正臣の言うとおり、卒業したらさようならとは思っていない。
(……静雄さんとは、違う)
この後サイモンの店に寿司を食べに行こうと話しながら校舎に入ってから、講堂の卒業式が終わるまではあっという間だった。
校長先生の話や、校歌を歌いながら、想うのは三年間の事、きっとそれはみんな同じだけれど。
(――――――しずお、さん)
僕が想う三年間は、静雄さんの事ばかりだった。
初めて出会った日――――すごく、怖くて、絶対に関わりたくないと思った。
小さな優しさに触れた日―――――この人は、本当は心の優しい、いい人なんだなぁって思った。
涙が出そうになった日――――――ダラーズを抜けると言われた日、手を思いっきり伸ばしたかった。
想いが通じあった日―――――――奇跡だと思った、幸せで涙が止まらなかった。
もっと、もっと、たくさんある。
大きな手のひらの温かさ、抱き締めてくれる腕のぬくもり、痛いけれどずっと望んでいた痛み。
全部、全部、宝物で、何ひとつ捨てられない。
――――たとえ、さようならをしても。
静雄さんが僕のことを好きじゃなくなっても、想いが離れていったとしても。
(僕だけが好きなことを、許してください)
(未来へと続く道6/7へと続く)