あんなに賑やかだったのに、同じ場所とは思えないぐらい音一つない廊下。

淋しくなって、こつり、とわざと踵で音を鳴らすと、その音だけが、響く。

でも、虚しい。

(……僕の心の中、みたいだ)

心を埋め尽くすように、隙間がないぐらい、いっぱいいっぱいだったのに。

今は、何もない。

長いクリーム色の廊下と同じだ。

誰もいない、何もない、音もしない。

(空っぽ、)

ぼんやりとしていると、視線が自然に遠くの空へと向かう。

(……真っ青、……)

綺麗な空なはずなのに、綺麗だと思えない。

ただの、空。

心に余裕があった時は、あんなに綺麗だと思えたのに。

「……竜ヶ峰?」

「ぁ、」

視線を感じて意識をゆるりと浮上させると、出席番号順の一つ前のクラスメイトがきょとんとした表情で立っていた。

今日は、担任との二者面談が行われていて、僕は順番を待っていた。

最後なのをいいことに、ぼおっとしすぎた。

「ご、ごめん!もう終わった?」

「おう。次は竜ヶ峰の番だぜ」

にかりと元気よく笑った彼は、きっと、いい未来を担任に約束されたんだろう。

(……いいな、ぁ)

虚しい気持ちを抱えたまま、無理やり笑顔を作る。

「うん、ありがとう」

ひらり、と手を振ってクラスメイトは帰っていく。

去っていく背中を見送って、ゆっくりと目蓋を閉じて、開く。

僕が選んだ道を、確実にするために。

見落とすぐらい微かに揺れている心を、抑えつけないといけない。

(……行こう)

教室と廊下を仕切っているドアを小さくノックすると、教室の中から担任の返事が聞こえた。

「失礼します」

古いドアは少し重くて、開けるのにも閉めるのにもコツがいる。

担任と机を一つ挟んで用意された椅子に座ると、早速だが、と言葉が始まった。

「竜ヶ峰。お前、本当にこの調査票通りでいいのか?」

「……はい」

悩んで、悩んで、悩み抜いて、出した結果が一枚の紙になって目の前に出される。

進路調査票と題された紙には、未来への予想が三つ書いてあった。

担任の太い指が、こつこつ、と第一希望と印刷された文字を叩く。





僕が第一希望に書いたのは、地元寄りの、三流と呼ばれる大学。





こくりと頷くと、担任は眉間に小さな皺を作る。

きっと、こういう反応をされるんだろうなと予想は出来た。

「はっきり言って、お前の成績ならこのレベルの大学は、勿体無い」

苛立ちをほんの少し含んだ声に、内心溜息を吐く。

(分かってる。…自分のレベルなんて、充分知っているよ)

第一希望に書いた大学ははっきり言ってこのまま勉強しなくても、合格するだろう。

自信ではなくて、それは確かなこと。

それだけ今の自分のレベルより下の大学。

僕は、敢えて、……そこを選んだ。

空っぽな僕には一心不乱に勉強をする心のゆとりもない。

何もかも、自分でよく分かっているんだ。

「もう少し勉強すれば都内の有名大学でも充分余裕を持って合格出来るぞ」

「………」

「この大学が悪いとは言わないが…。何か、ここでやりたいことでもあるのか」

ない、というわけでもない。

でも、ある、わけでもない。




――――――――――池袋から離れられて、地元に近ければ、どこでもいい。




興味が少しでもある学科があるなら、本当にどこでもよかった。

担任が進める大学は池袋に近過ぎる。

(…それだと、駄目なん、だ…)

僕が選んだ大学は、池袋から離れた場所だった。

「竜ヶ峰、どうなんだ」

「……やりたいこと、あります。ここじゃないと、駄目……なんです」

相手がどんな人でも嘘を吐くのは、気持ちが良くない。

視線を床に落とすと、頭の上からはぁと小さな溜息が聞こえる。

「お前が、それでいいなら構わないが……」

「すみま、せん」

担任はようやく諦めたように、僕から視線を離す。

(よかっ、た)

ごめんなさい、ごめんなさい、と心の中で小さく謝る。

でも、あなたには何も言えないし、あなたに何を言われようと、誰に何を言われようと、もう決めたんだ。

僕の決心はどんなことがあっても、変わらない。

もったいない、もったいない、とぶつぶつ呟きながら自分のノートに何かを書き込んでいる担任を視界の端に止めて。

真っ直ぐと見つめるのは、やっぱり空。

さっきまで真っ青だったのに、いつの間にかオレンジが広がっている。

侵食するように、ずるり、ずるり、と。

青を染め橙は、僕の気持ちを埋め尽くしていた、大好きなあの人を簡単に想う。

「…………」

(―――――……しずお、さん)

空の下には、いつも通りそこにある池袋。

この景色を見られるのは、あともう少し。

ここにいられるのも、池袋にいられるも、……もう少し。







さようなら








(どこに、誰に、向けて……?)

自分の言葉なのに、それは心の中でとても淋しく響いて、泣き出しそうになった。



(未来へと続く道1/2へと続く)